二人の高橋先生

高橋先生

僕が中学生のころ、僕に英語を3年間教えてくれたのは高橋先生だった。

「英語は数と人にうるさい」

さりげなく教えてくれた英語との付き合い方を、今でもちゃんと覚えている。

高橋先生はスーツが似合っていて、音楽の先生とデキてるんじゃないかという、中学生ならではのくだらない噂があった。

そんな高橋先生の授業で、ある日、英単語の小テストがあった。

「はいそこまで。じゃあ、赤ペン出して隣の人と交換して~」

シュ!

シュ!

シュ!

みんな正解してるアピールをしたいのか、音をよく立てて〇つけしていた。

でもそれ、隣の人の答案だよね。

優秀なのは、隣の人である。

「ねえ」

トントン

ゴブリンというあだ名の、隣の女子だった。

「ここ、間違ってるよ」

僕は「扉」を、doorではなくdoarと書いていた。

「消して直していいよ」

え!

ブンブン

僕は首を横に振った。

「うーん… じゃ、このまま〇にしておくね!」

なんでだよ。

間違えてるんだから、×をつけろよデコ助野郎!

俺を罰してくれ。

そんな小テストの1点ごときで、僕は尊厳を失いたくなかった。

ブンブン…

ブンブン!

ゴブリンはすでに後ろの女子とおしゃべりを始めていた。

僕にはもう、なすすべがなかった。

女子の方が成長が早い。

僕は、先生が気づいて×に直してくれることを願った。


数日後、小テストが返ってきた。

そこには〇がついたままのdoarがいた。

授業が終わったら、言いに行くんだ。

授業が終わったら、言いに行くんだ。

チャイムが鳴り、高橋先生のところに小テストを握りしめて行った。

ドタドタドタ

「ここ、間違えてるのに、〇、つけられた」

「あー、いいよいいよ。こんくらい。〇のままでいい」

僕は、正直に申し出た自分を少しだけ誇らしく思った。

旧姓・高橋先生

僕が高校1年生のとき、僕に英語を教えてくれたのはクラス担任の旧姓・高橋先生だった。

当時はもう別の苗字になっていたけど、同じ高校に通っていた兄の卒業アルバムで、旧姓が高橋であることを知っていた。

旧姓・高橋先生は、初めてクラス担任になり張り切っていたのか、学校をサボった生徒がいると、わざわざ緊急連絡先にまで電話をかけるような先生だった。

それでいて、学校祭では、ティーンエイジャーたちの反対を押し切り、「ジャスミンティーが売れる」と豪語して大量に仕入れて、多くの在庫を残した。

しかも、生徒が置き勉すると、テスト前のタイミングを見計らって職員室に回収していく先生だった。

僕はそんな旧姓・高橋先生に、英語の試験で正解を書いてもよく×をつけられた。

×、×、×。

バッドばつばつくんか?

何度かそういうことが続き、さすがにおかしいと思った僕は、テストの返却後、旧姓・高橋先生のところに答案を持って行った。

「ここ、合ってるのに×になってます」

そう言うと旧姓・高橋先生は言った。

字汚いからだめ! gは下の部分を突き抜けさせないとわかんないから。ここも汚いし。読めないよ。読めない!

クシャクシャクシャ!

トン

コロコロ…

「…」

僕は視線を旧姓・高橋先生の巨乳に落とした。

おっぱいが見たかったわけじゃない。

目を見て、訴えられるだけの度胸が当時の僕にはなかった。

僕は、自分が正しいと思うことを主張できない自分を情けなく思った。

下を突き抜けていなくても、gはgだ。

正解、不正解、正解

あのとき〇をくれた高橋先生。

あのとき×をくれた旧姓・高橋先生。

いろんな高橋先生がいる。

でも、僕は×をつけられても英語を嫌いになりきらなかった。

かといって、〇をもらったからって英語を好きになることもなかった。

だって、高橋先生も、旧姓・高橋先生も、ただの英語の先生であって、英語と僕との関係には入ってこられないから。

僕はこれからも、英語が好きでも嫌いでもなくて、好きで、嫌いだろう。

〇でも×でもなく、△だ。