翻訳者になるのに理由なんていらない

なりたいは変わる

大学一年生の春。

入学式が終わり、みんなとなんとなく仲良くなったころ、「なんでこの大学に入ったの?」という話になった。

受かった中で一番偏差値が高かったから。

ほかの大学に落ちたから。

好きな芸能人の出身大学だから。

理由はだいたいそんなものだった。

その中にひとり、こう言うやつがいた。

「本当は別の大学で、ある言語を勉強したかったんだけど、ダメでさ。だから、ここで英語をやることにしたんだ」

語学つながりでの妥協。

よくある話だ。

僕が入りたかった大学が、ある人にとってはしぶしぶ行くはめになった大学。

みんなそれぞれ、成り行きで進学先を決めている。

そんなことを思いながら、大学生活に明け暮れたり、明け暮れなかったりした。

それから一年ほど経ったころ、また何人かで集まる機会があった。

例によって「なんでこの大学に来たのか」という話題になったとき、そいつは急にこう言い出した。

「俺、英語の先生にずっとなりたかったんだよね。だからこの大学に来たってわけ。英語教育、マジで変えてみせっから」

ん?

理由が書き換えられている。

ちなみにそいつは卒業後、サラリーマンになった。

なりたいは作れる

大学二年生の春。

履修の自由度が上がり、他学部で開講されていた翻訳の授業に潜り込むことに成功した。

その授業には、たまに現役の翻訳者がゲストとして登壇し、ありがたい話をしてくれた。

ある児童文学の翻訳家は、こう言った。

「翻訳というのはね、窓を開けてあげることなんです。

環境に恵まれない子どもたちもいるでしょう。

でも図書館に行けば、誰でも本が読める。

海外の作品を通して、広い世界を知ってもらうの。

日本なんて、その程度の国だから」

そんな壮大な志を抱いて翻訳している人もいるんだな、と思いながら、リアクションペーパーには「感動しました」と書いておいた。

ちなみにその翻訳家は授業の後半、ずっと安倍の悪口を言っていた。


でも、僕が大学生のころに翻訳者になりたかった理由は、誰かのためなんかじゃなかったなあ。

今も、誰かのために翻訳してるわけじゃない。

単語をひとつ訳すたびに、お金が入ってくるから訳している。

(チャリンチャリン)

最近、結婚したての友達に軽い気持ちで聞いてみた。

「なんでこの人にしたの?」

「ほかにいなかったから」

即答だった。

結婚式で流れていたあの感動ムービーは、どこから湧いてきたんだろう。

理由なんて、そんなものである。

本音と建て前があって、みんなカッコつけたがる。

翻訳者になる理由だって、ほんとはなんだっていい。

だいたいのことに、理由なんてあるようでないんだから。