英語が「できる」ってなぁに?なぁに?

できるを 定めなくちゃ

帰国子女は授業中にポップコーンを食べながら言う。

「英語は話せなきゃ! Are you okay?」

翻訳者はAIについてつぶやきながら言う。

「英語は読めなきゃ! エーアイキャノットリードイングリッシュ」

TOEICerは試験会場の前で待機し、風に煽られながら言う。

「TOEICは満点じゃなきゃ! They’re moving some furniture.」

でも、英語は話せなきゃいけないって、誰が決めた?

読めなきゃいけないって、誰が決めたの。

点を取らなきゃいけないって、誰が決めたのさ!

心のアクティブノイズキャンセリング

この世にあふれるうんちくさノイズをかき消すには、自分の「できる」を自分で持つしかない。

その「できる」が、君の高性能ノイズキャンセリング機能となる。

でも、その英語が「できる」「できない」って何?

君の人生の背景で鳴っているだけの環境音に、君の「できる」を勝手に決めさせるなんておかしい。

観光客に英語で道案内できた。

好きな映画の原作を原文で読めた。

あの曲のサビを聞き取れた。

誰に何と言われようと、自分の「できる」に届いたなら「できる」と思っていい。

おまえの「できる」をまかせるな

英語がペラペラでも、原書が読めても、満点でも、僕には関係ない。

何をもって英語が「できる」とするのか。

その問いに自分なりの答えを導き出し、自分ひとりでそこに向かって歩めるようになるしかない。

できる。

できない。

できたかも。

英語と子どもは、できちゃってもいいのだ。

誕生日おめでとう。