説明責任
「俺の授業をコピーできるようにしろ。自分で説明できて、初めて身についたと言えるんだ」
ある日の授業で、“カリスマ”講師はそう言った。
でも、「わかる」と「説明できる」って、そんなに連動しているものなのかな?
そんな無責任なことを言う男は、コンドームをつけない男と同じだ。
少なくとも、語学においては「わかる」と「説明できる」は同じものではない。
犬だって、腰の振り方を教わっていないけど勝手に腰を振る。
そう、僕は英語を使うときに……
「似たような構造の英文を前にも見たことあるぞ」という何か。
絶対に正しいと「わかっている」英文から別の英文を作る何か。
目の前の英文を見て「なんか変」と感じる何か。
……みたいなものが、勝手に働いている気がしている。
でも、目の前の英語がなんでそうなるのかは、なかなか説明できない。
説明したいとも思わない。
人に英語を説明できるなんて、今まで一度も思ったことがない。
でも、誰が僕の「わかる」を否定できるの?
英語と、あの子への気持ちは説明できなくてもいい。
言葉って、そんなに万能なものじゃないから。
100%の「好き」じゃなくたっていいんだ。